お客さまの声
お客さまの声 豊田さま(2)
2021年10月、長かった緊急事態宣言が沖縄でも解除され、これまでじっと息を潜めていたような世の中が少しずつ動き始めました。
年の初めに、コロナ禍の影響を受けフィリピンでの親子留学からの切り替えを検討されていた豊田さん御一家も、無事に帰国し沖縄での新生活をスタートされました。
【前回までのお話はこちら → https://oki-ryugaku.com/cat-voice/1053/】
新しい暮らしが始まって約1ヶ月。現在どのように過ごされているか、お話を伺いました。
久しぶりの日本、新たな生活の始まり
豊田さおりさんと隼人くんは、今年の4月下旬に長年暮らしたフィリピンのセブ島を離れ、日本へ帰国しました。
セブに渡ったのは、現在8歳の隼人くんが生後6ヶ月の時だったので、さおりさんにとっては約8年ぶりの、隼人くんにとっては初めての、腰を据えた日本での暮らしの始まりです。
帰国直後はさおりさんのご親戚がいる静岡県に滞在しながら、沖縄での生活の準備をしたり、日本の生活に馴染む時間を取られていたそうです。
セブの学校に通っていた隼人くんは、帰国後もオンラインで授業を受け続け、6月に3年生を修了しました。
「コロナ禍で、沖縄のインターナショナルスクールのサマースクールへの参加も全てキャンセルになってしまいましたが、どうにか希望していた学校の入学審査を受けることができ、8月には正式に住民票も移しました。」
「沖縄で親子留学.comの担当スタッフの方には、この間も引き続き様々な情報の提供や、引越し直後に短期で借りられる車の手配といったことまで、ずっとお世話になりっぱなしで本当に助かりました。」
隼人くんが新4年生として9月から通うことになったのは、本島南部にある「ニューライフアカデミー」。
1学年10名ほどの少人数制にこだわり、学力維持に必要なサポートに定評のある、クリスチャンスクールです。
沖縄本島にはたくさんのインターナショナルスクールがある中で、決め手はどこにあったのでしょうか?
「まず、日本の学校教育の認定を持っている所は学費も高いので、候補から外しました。私たちが求めているものはそういうものではないので。
あとは、日常のコミュニケーションの半分くらいが日本語で行われてしまうような学校では、英語力の維持が難しいと思っていました。
かといって、全く日本語の教育がないと、日本人として生まれて、日本の国籍を持っていて、日本語は話せるのに読み書きができないというのではもったいない、という思いもあったんです。」(さおりさん)
ニューライフアカデミーは、先生の大半が学校では日本語を使わない外国籍のイングリッシュスピーカー。しかしながら、毎日1時間しっかりと日本語の授業があります。
この、日常的な英語環境と日本語教育のバランスを、さおりさんは重視したそうです。
学年ではなく、個々に合わせる教育
インターナショナルスクールでは、国籍の違いや英語力の違いで、同じ学年のクラスメイトでも教科によってはレベルの差が大きくなりすぎることがあります。
例えば、隼人くんはほとんど生まれた時からセブで暮らしていたので、英語はネイティブ並みに達者です。しかしながら日本語はひらがなを書くのもおぼつかず、クラスメイトと同じ4年生レベルの授業にはついていけません。
「ありがたいことに、ニューライフアカデミーでは、学年や学齢にこだわらず、学力に応じてその子に合わせた教育をしてくれるんです。」(同)
今、隼人くんは日本語の授業の時だけ別の教室で彼に合ったレベルの日本語の授業を受けています。
クラスメイトの中には、英語力が足りないため、学齢では本来5年生のところをあえて4年生に籍を置き、日本語だけは本来の5年生レベルの授業を受けているという生徒さんもいるそうです。
さらに、「今の隼人の基本言語は日本語ではなく英語です。だから、日本語の授業も英語で行っていただいているんですよ。そこまでしていただけるのは、少人数だからこその手厚さかもしれません。」(同)とのこと。
これまでとの違い
カリキュラムの面での違いを聞いてみると、
「セブでは8教科あったんです。英語、タガログ語、算数、Geography(地理)、History(歴史)、Botany(植物学)、Physical science(物理)、Geology(地質学)。
こちらでは、いわゆる生物学っぽいものがScience(理科)という教科にまとまっている感じだったり、地理の授業では既にセブの学校で学んだことが出てきていたり、少しずつ違いはあるみたいですが、遜色はないと思います。」(さおりさん)
隼人くん曰く、「セブのクラスメイトの半分くらいのスピーキングレベルで日本語英語の人が多い」との少し厳しい評価ではありましたが、さおりさんから見ると、
「毎週様々な課題が出され、木曜日にプレテスト、金曜日に本テストを行って習熟度を測っていくような、タスクを与えて進めていくという取り組みもあり、セブの学校に比べたら教育自体はかなりしっかりやっているなという印象です。」
隼人くんに、スクールライフについて聞いてみると、
「フィリピンでは友達がたくさんいたけど、今は10人しかいないんだよね。」と、寂しげな一言。
隼人くんのクラスのメンバーは全て日本人の、男子5名、女子5名の10名です。
さおりさんが感じる少人数制の利点の一方で、セブでは多くの友達に囲まれていたという隼人くんにとっては少し物足りないのかもしれません。
学校とは離れた話になりますが、実は豊田さん親子は大切な家族をセブに残してきていました。
「かぼす」と「すだち」という2頭の犬達です。
ゴールデンレトリバーの「かぼす」は日本で生まれ、隼人くんは生まれた時から一緒に育ちました。隼人くんが「かぼす」のお腹を枕にし、「かぼす」も安心したように一緒に眠る、そんな仲睦まじい写真がたくさん残っています。
「すだち」はフィリピン生まれのジャーマンシェパードで、2017年から家族の一員に。
甘えん坊の「すだち」も「かぼす」と同様、隼人くんにとっては一緒にいるのが当たり前の、兄弟のような存在でした。
しかし、「かぼす」はもう11歳で、フィリピンから日本へのフライトに耐えられる年齢ではなく、狂犬病の有病地帯であるフィリピンで生まれた「すだち」は、日本への入国許可を得るためには気が遠くなるような手続きや検査が必要でした。
「今の私たちの状況で、あの子達を連れて来るのは現実的ではないなと…。」
少し言葉を詰まらせながら「かぼす」と「すだち」の事を話してくれるさおりさんの言葉には、国をまたいだ引っ越しの現実が見え隠れします。
イチャリバチョーデー!
隼人くんは、とても明るい男の子です。生まれてすぐにフィリピンに渡り、それからずっとセブで暮らしてきました。
日本人よりも陽気な気質のフィリピンの人たちに囲まれ、同じくらい陽気で明るい少年として、そして同じくらい英語や現地の言葉を流暢に使いこなす、現地の子供として育った隼人くん。このインタビューの時も、時おりセブのお友達とオンラインで楽しそうにお喋りをしていましたが、発音や抑揚の付け方などはやはり日本人離れをしています。
この個性が日本の社会でどう受け止められるか、ということはさおりさんにとってずっと気がかりな事でした。過去には一時帰国の際に、滞在していた静岡で少し苦い経験をしたこともありました。
でも、沖縄に引っ越してすぐに「セブから日本に移住するなら、住むのは沖縄が良い」と、お友達が薦めてくれた理由がわかるような出来事があったそうです。
「こちらに住民票を移してから、本来であれば隼人が通うはずの公立小学校にご挨拶に行ったのですが、その学校の先生方とのやりとりが、なんだか大きな安心材料になったんです。」(さおりさん)
中学校までを義務教育とする日本では、地域の公立校に籍を置きながらインターナショナルスクールに通うことが多いそうです。(*1)
そのため、隼人くんも籍を置くことになる学校に挨拶をして、教科書などを受け取りに行きました。
「教頭先生が対応してくださったのですが、隼人を見るなり“きゃー、君のキャラクター大好き!”って、この子のことすごく気に入ってくださって。
インターナショナルスクールに通うんです、というお話をしても、“良かったら、1日だけでもうちの学校にも来てみてね、給食食べに来てね”って、本当に熱心に誘ってくださったりして。」(さおりさん)
沖縄本島にはたくさんのインターナショナルスクールがあり、公立校の先生達も“籍だけはあるけれど、実際に登校することのない子供たち”の存在には慣れているようです。
それでも、地域の子供であることは変わりなく、イチャリバチョーデー(一度会ったら兄弟だ)という言葉がある通り、家族のように温かく迎え入れるのは当たり前のこと。
「最後は校長先生のところにまで行って、隼人が先生とハグしたりして。
沖縄ってこういうところなんだなって、すごくセブに近いんだなって思えた出来事でした。」(さおりさん)
(*1)日本ではインターナショナルスクールの多くが私立の学校としては認められておらず、「各種学校」という扱いになる。そのため、インターナショナルスクールで小学校を卒業しても、日本の小学校卒業の資格は与えられない。
子供社会の異文化交流
その一方で—。
「実はこの間、日本的な洗礼も受けたんです。」
すぐ隣でセブの友達と楽しそうに話をしている隼人くんの様子を見ながらさおりさんが教えてくれたのは、彼が学校で体験した出来事でした。
「何日か前に、“今日、僕、学校で泣いちゃったんだ”と言うので、びっくりして話を聞いてみたら、クラスメイトの男の子が1人、隼人の顔を見てコソコソッて隣の男の子と話をするんですって。隣の男の子も、同じように口元を隠してコソコソッと返事をする。その日は隼人が仲良くなった別のクラスメイトがお休みしていたのもあったのか、寂しさが爆発して泣いちゃった、と。」
セブでは、学校に転校生が来ると、どんどん人が寄っていって「どこから来たの?」「どうして来たの?」「日本語話せるの?教えて!」と、みんなが積極的に話しかけ、すぐに打ち解けていくのが当たり前でした。
日本人であることや、陽気な性格、明るいキャラクターも、フィリピンでは抜群の個性として認められ、隼人くんはいつもたくさんの友達に囲まれていました。
それが、インターナショナルスクールとはいえ日本では少し様子が違ったのだといいます。
隼人くんの流暢すぎる英語や、身にまとうフィリピン人並みの明るさという“異文化”は、在校生を少しびっくりさせてしまったのかもしれません。
在校の子供達もどう接して良いのかわからずに、まずは遠くからそっと観察して、それからゆっくり距離を縮めていこうとしたのでしょう。
それが隼人くんには、自分がおかしな目で見られているように感じて、寂しくてたまらなかったのです。
「でも、昨日にはもう急展開で“その男の子と友達になった!”って言って帰ってきたりするので、心配して良いやらホッとして良いやら?というところなんですけどね」
心配が尽きることはないはずですが、そう言ってさおりさんは笑いました。
親として
真新しい生活が始まって、さおりさんもこれまでとは少し違うやり方で隼人君を支えていく必要があると考えています。
「元々たくさん話してくれる子だったので、あまりこちらから意識して彼の話を聞き出そうということはしていなかったんです。でも、もっと細かく彼が話さないことも引き出したり、何かあったらお母さんに話してね、先生に話すんだよ、ということを伝えて行ったりということをしないとな、と思っています。」
セブでは、家の中に明るいフィリピン人のヘルパーさんがいて、言葉は発しないけれど気持ちの通う大好きな犬も2頭いるという、賑やかで聞き手の多い生活でした。
それが今はお母さんと2人きりの静かな生活になり、そのギャップがやはり大きいと、さおりさんは思っています。
「早く周りに馴染むというか、周りに助けが求められる環境を作ってあげたいです。2人きりの生活の中で、お母さんにも言えることと言えないこと、お母さんだから言いたくないこととか、あると思うんです。そういうのを他に相談できる存在が、今までは自然に周りにいた環境だったけど、それがなくなってしまったので。
これからいろいろなところに足を伸ばしたり、習い事をさせたり、気持ちも体力も発散させつつ、私も息子も世界を広げていくことを心がけていきたいと思っています。」
やっぱりフィリピンが好き、だけど・・・
インタビューの最後に、隼人くんに「今のところの将来の夢」について聞いてみました。
「ウルトラマンでしょ?」というさおりさんを横目で見ながら、隼人くんが答えたのは
「Artist! Drawing! (アーティスト!絵を描く!)」
理由を尋ねると、
「今のアートの先生がとっても面白くて大好きだから!」
とのこと。どんな風に面白いのか、もう一歩踏み込んで聞いてみると、
「雰囲気がフィリピン人に似てて面白いんだよ!」
今の隼人くんにとって、日本はまだ慣れない異国です。
彼にとってここでフィリピンの空気を感じる誰かを見つけることは、
私達が海外で日本人と出会うと少しほっとするのと似ているのかもしれません。
新しい生活が始まってまだ1ヶ月。正直、コロナ禍での行動規制も多く、学校についてはまだまだ全貌が見えない状況です。
ただ、日本に来て、何が一番嬉しい?という質問に、
「毎日学校に行けること!」
と即答する隼人くんの笑顔が、この先の沖縄ライフを明るく照らしているように見えました。
隼人くんの沖縄での成長を楽しみに、スタッフ共々引き続き応援させていただきます!
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